【AIガバナンス構築 ステップ①】:目的とビジョンの策定

1.イントロダクション

2.なぜAIガバナンスは「ルール作り」から始めてはいけないのか

3.経営層が定義すべき2つの最上位概念

4.整合性の取れたガバナンスを構築するための実践アプローチ

5.まとめ

1.イントロダクション

「AIガバナンスを導入しよう」と考えたとき、多くの企業が真っ先に行うのが「利用ルールの作成」です。

「ChatGPTへの入力禁止事項をリストアップしよう」

「利用申請書を作って管理しよう」

一見、正しい手順のように見えますが、実はこれが失敗の始まりであることが少なくありません。

なぜなら、「何のためにAIを使うのか(目的)」「我が社は何を大切にするのか(価値観)」という土台がないまま作られたルールは、現場の実情と乖離し、単なる「面倒な手続き」として扱われてしまうからです。

AIガバナンス構築の5ステップにおいて、最初のステップは「ルール作り」ではありません。

「目的とビジョンの策定」こそが、すべての出発点です。

本記事では、

  • なぜルール作りから始めてはいけないのか
  • ガバナンスの方向性を決める「ビジョン」と「バリュー」の定義方法
  • 経営層と現場をつなぐ一貫性のある方針策定
    について解説します。

AIガバナンスは、守るための壁を作る作業ではありません。企業が目指すゴールへ最短距離で進むための「羅針盤」を作ることなのです。

2.なぜAIガバナンスは「ルール作り」から始めてはいけないのか

AIガバナンスの構築において、多くの担当者が陥る罠が「手段の目的化」です。

「他社がガイドラインを作っているから、うちも作ろう」という動機で始めると、ガバナンス本来の役割を見失ってしまいます。

2-1.目的のないルールは現場の「足かせ」になる

例えば、「AI利用時の承認フローを厳格にする」というルールを作ったとします。

もし、その企業のAI導入の目的が「圧倒的なスピードで新規事業を創出すること」だとしたらどうでしょうか。厳格な承認フローはスピードを殺し、目的達成を阻害する「足かせ」にしかなりません。

逆に、目的が「顧客の金融資産を安全に運用すること」であれば、厳格なフローは「安全を守る防壁」として正しく機能します。

このように、「目的」が定まって初めて、そのルールが「良いルール」か「悪いルール」かを判断できるのです。

2-2.「手段の目的化」が招くガバナンスの形骸化

目的が不明確なままルールだけを作ると、現場は「なぜこれを守らなければならないのか」を理解できません。

結果として、「バレないように個人のスマホでAIを使う(シャドーAI)」が横行したり、形式的に申請書を出すだけの空虚なプロセスが生まれたりします。

『AI・LLM活用における統括部門・統括ポスト設置の重要性』でも触れられているように、組織全体で統一された戦略やビジョンがないまま個別の管理プロセスだけを走らせても、リスクは低減されず、むしろ組織の統制が取れなくなる恐れがあります。

3.経営層が定義すべき2つの最上位概念

では、ルール作りの前に具体的に何を定義すべきなのでしょうか。

それは、「ビジョン(攻めの方向性)」「バリュー(守りの優先順位)」の2つです。これらは現場の担当者だけで決められるものではなく、経営層がコミットすべき最上位概念です。

3-1.ビジョン(Vision):AIでどのような未来を実現したいか

まず、「自社はAIを使って何を実現したいのか」という攻めの方向性を明確にします。

  • 業務効率化: 「ムダな作業をゼロにし、社員がクリエイティブな仕事に集中できる環境を作る」
  • 顧客価値の創造: 「AIを通じて、顧客一人ひとりにパーソナライズされた最高の体験を提供する」
  • 社会課題の解決: 「労働人口減少という社会課題に対し、AIとの協働モデルを確立する」

このビジョンが明確であれば、ガバナンスの方針もおのずと決まってきます。

「クリエイティブな仕事への集中」が目的ならば、ガバナンスは「使いやすさ」「ツールの多様性」を重視すべきです。「顧客体験」が目的ならば、「ハルシネーション(誤情報)」への対策が最優先事項になるでしょう。

3-2.バリュー(Value):何を最優先価値として守り抜くか

次に、「AI活用において、何を犠牲にしてはならないか」という守りの優先順位を定義します。

全ての企業にとって「安全性」は重要ですが、その中身の優先順位は業種や企業文化によって異なります。

  • プライバシー最優先: 「どんなに便利な機能でも、顧客のプライバシーを少しでも侵害するリスクがあれば採用しない」
  • 公平性重視: 「AIの判断にバイアスがかかることは絶対に許容しない」
  • 透明性重視: 「AIを使ったという事実を隠さず、常に顧客に説明責任を果たす」

例えば、博報堂DYグループのAIポリシーでは、「生活者の安全性を確保すること」を重視し、リスクマネジメントと説明責任を明確に約束しています。

このように「譲れない一線」を明文化することで、現場は迷いなく判断できるようになります。

博報堂DYグループのAIポリシーに関しては、以下の記事で解説しています。

博報堂DYグループのAIポリシーを読み解き、AIポリシー策定のヒントを得る-AI共創総研|AI監査を見据えたAIガバナンスツール

4.整合性の取れたガバナンスを構築するための実践アプローチ

ビジョンとバリューが定まったら、それを具体的なガバナンス体制に落とし込んでいきます。

4-1.ステークホルダーへの約束(AIポリシー)の策定

定義したビジョンとバリューを、「AIポリシー」という形で社内外に宣言します。

これは単なる宣言文ではなく、「私たちはこの原則に従ってAIをガバナンスします」というステークホルダーへの契約です。

投資家や顧客に対して、「我が社はAIを無秩序に使うのではなく、明確な意図と倫理観を持って管理している」と示すことは、企業の信頼性(トラスト)を高めるための強力な武器になります。

4-2.現場判断の拠り所となる「羅針盤」を作る

ビジョンとバリューは、現場が日々の業務で判断に迷ったときの「羅針盤」になります。

「この新しいAIツールを使ってもいいだろうか?」

そう迷ったとき、分厚いルールブックをめくるのではなく、

「我が社のビジョンは『顧客体験の向上』だ。このツールはそれに貢献するか?」

「最優先バリューは『透明性』だ。このツールの出力根拠は説明できるか?」

と立ち返ることができます。

ガバナンスとは、上から押し付ける「縛り」ではなく、社員一人ひとりが自律的に正しい判断をするための「指針」であるべきです。その指針の根幹となるのが、このステップ1で策定する目的とビジョンなのです。

5.まとめ

AIガバナンス構築のステップ1「目的とビジョン」について解説しました。

重要なポイントを振り返ります。

  • ルール作りから始めない: 目的不在のルールは現場の足かせになり、形骸化する。
  • ビジョン(攻め): 「AIで何を実現したいか」を定義し、ガバナンスの方向性を決める。
  • バリュー(守り): 「何を最優先で守るか」を定義し、現場判断の拠り所にする。

「とりあえず他社の規定を真似してガイドラインを作ろう」と考えていた方は、一度手を止めてみてください。

そして、経営層やチームメンバーと、「私たちはなぜAIを使うのか?」「AIを使ってどんな会社になりたいのか?」という根本的な問いに向き合ってみてください。

そこから導き出されたビジョンこそが、あなたの会社に最適なAIガバナンスを形作るための、強固な土台となるはずです。

次回は、このビジョンを具体的なルールに落とし込む「ステップ2:ルール整備」について解説します。

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この記事の著者

藤井涼 ( Fujii Ryo ) | AI共創総研 CEO

KPMGあずさ監査法人にてAI Assurance Groupに参画し、AIリスクアセスメントのサービス開発を経験。同社では四年間データサイエンティストとして監査の効率化、高度化をサポートした。AI共創総研を創業後は大手企業やメガベンチャー企業などを対象にAIガバナンスの構築支援やトレーニング事業を展開している。AIガバナンスをテーマに多数の登壇経験。